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私史上最強のアイドル西畑くんがいる日常

自分らしさを受け容れる

こんにちは。いかがおすごしでしょうか。
7月も中旬に入って、梅雨明けと同時に猛暑続きの毎日…そろそろ本気で指先あたりから水分となって解け始めるんじゃないかと妄想するくらいに暑さに既にやられている私です。

そんな既に猛暑が続く中、私は仕事柄スーツジャケットを羽織って汗だくまっしぐらなので、どうすればいかにメイクが崩れないかを毎日考えています。というのは嘘ですが、仕事だろうか仕事じゃなかろうが最近は毎日ジャケット羽織ってヒールをかつかつさせております。

何故なら、転職活動をしているからです。

もしかしたらTwitterのフォロワーさんの中には、今年の4月に社会人1年生頑張った!自分お疲れ!!と頑張って自分を褒めてあげた記事をご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。(既にエントリー消してますが)

1年頑張ったんだけど、結局耐えられませんでした。笑
その理由はまあとりあえず置いておいて、現職をやめるとなったときに、なんでこんな現状にまでなってしまったのかな…と考えました。すごく。
考え抜いてひとつ感じたのは、私はどうにも自分自身とそれを取り巻いてきた環境のことが嫌いすぎる。だからもう私なんてどうなったっていいや、流されちゃえー!とか、結局こうなったのは親のせいなんだ!!とか、自分が嫌いなことを正当化して自分も周りも沢山振り回して生活しているな、、としみじみ思ったんです。

だから、私の転職活動には裏テーマがあります。
“ありのままの自分を受け容れる” “自分自身に嘘をつかない”
まあ100%すぐすぐ出来るとも勿論思っていません(笑)ただ、その為の努力をそろそろしなきゃなあと思い始めたんです。努力をせずに自分の根っこの気持ちをないがしろにしてきたから、生活してて苦しくなることもたくさんある。そして人には頼ってほしいといつも思っているのに、自分が弱さをさらけ出さずに誰が頼ってくれるんだろう。

それで。前置き長くなりましたが、自分をさらけ出すことを決めました。別にこれで友達減ったって元々友達少ないから問題ないし、だからと言って同情票が欲しいとも全く思ってません。
じゃあなんでこんな記事書いて公開するかって、自分に嘘つかないでありのままを受け容れていくって決めたんだって決意表明をするためです(非常にどうでもいい。笑)

今まで関わってきた方々に今までの生きづらさとか苦しさとか全部話したことってほとんどなくて、その時々で頼ってきたことはたくさんあったんだけど、それ以前の過去について話したことってめちゃくちゃレアケースだと記憶しています。何せたぶん過去から掘り起こすとめちゃめちゃめんどくさい人なんですよ私。(笑)
両親にも自分の辛さしんどさとか100%ぶつけたことはないし(ぶつけても80%くらいが限界)、それに関しては正直それで正解だと思っています。ただ、別に私は強くないから、むしろ人よりとっても弱いから、1回名刺みたいな記事作って私こんな人ですって作っちゃうのもありなのかなあと思いました。所謂めんどくさがりです。そんなこと言っても結局自己満なんだけどね!!!

ということで、こんな経緯でひっそりと(?)今までの自分と向き合っていきたいと思います。その中で今生きづらさを感じている人がいれば、生きづらさを感じているのは貴方だけじゃないんだよって思ってもらえればいいなあ。なんて思ってもいます。
まあ、結局自己満ですが(2回目)


ということで早速、自分自身を振り返っていきます。

私は、小さい頃、両親と母方の祖母と4人で暮らしていました。
父親は仕事柄あまり家におらず、母親はめちゃくちゃ厳しかったです。今思うと、厳しいというよりも完璧を求められていたのかな?とも思うのですが、テストで100点取ったって作文で賞を取ったって褒めてもらった記憶は一度もありません。(笑)ただその分祖母はとっても優しくて、母親に褒めてもらえなかった時も何度も泣きついて祖母に思いっきり褒めてもらっていた記憶があります。そして祖母を味方につける。幼いころからずる賢いのは変わってないです。(笑)

そんな幼少期、母親曰く正直私は普通じゃなかったそうで。3歳くらいの時に自閉症の疑いがあるって診断されたこともあったらしいし(診断されてから祖母が必死に言葉を教えたらしい)、幼稚園を2ヵ月くらい休んでいたりとか(原因は不明、別に体調は悪くなかったらしいけど勿論記憶にはない)、小学校に入ってからも度々問題を起こして毎年担任の先生を困らせていました。(何が原因か覚えてはないけど、人一倍先生に怒られていたことだけは記憶にある)
そもそも普通ってなんだよって感じなんですけど、あながち自閉症の疑いって診断されたのも間違いじゃなかったのでは?と思うこともありました。ちなみに、幼稚園くらいまでの記憶にない部分については、物心ついた頃から耳にタコができるくらい母親から聞いていたので、嫌でも刷り込まれています(笑)もっとえげつないエピソードたくさんあるけど、そもそも小学生の頃からそれを子どもに毎日言い聞かせるうちの母親ってどうなんだってずっと思ってました(笑)

でも、別に小さいころ生きづらさとか馴染めなさとか、そういったことを感じたことはなかったし、むしろ友達いっぱいいるし勉強も習い事も何もかもが楽しくて、毎年学級委員したり小学校で生徒会入ったりと、かなり活発な女の子でした。ただ、母親にどうやったら認めてもらえるだろうともがいていたのはよく覚えています。
そんなこんなで、めっちゃグレーゾーンな幼少期だったのですが特に大きな問題もなく(あったとしても覚えてないだけかも。笑)過ごしていました。

ただ、小学5年生の時に大好きな祖母が癌で亡くなりました。
痛いのも具合悪いのも我慢する性格からか、癌が分かったときは既に末期で、それまで一緒にたくさん外で遊んでくれていた元気な祖母は、入院して亡くなるまでの1年間で別人に変わっていきました。亡くなる前、はじめて通知表でオールAを取って祖母に見せたとき、近くにいた看護師さんに「私の自慢の孫なんだよ」と言ってくれた言葉は今でも忘れられない。ただ、その日を境に容態が急変して、間もなく亡くなりました。
祖母はそもそもシングルマザーだったため、母親にとっては唯一の親でした。私も一番の理解者である祖母が亡くなったことでかなり不安定になりましたが、それ以上に母親は不安定だったと思います。

それから、母親は厳しさに磨きがかかり、自分のことでいっぱいいっぱいになっていきました。元々人付き合いが苦手だったけど、授業参観にもあまり来なくなったし、ごく稀に来た際は、帰ってから同級生を褒めちぎる時間が続きました。他に親との活動があっても父親が来れるわけでもないので、だいたい私はひとりぼっちでした。周りの家族を見ながら、出来が悪いから見に来てくれないんだ。私のせいだと言い聞かせていました。
家で母親には完璧じゃない私をそれまで以上に責められるようになったし、かと言って私も追い詰められていたので、反抗して狂ったように泣き叫ぶこともありました。毎日のように母親と殴り合いの喧嘩をしていたし、泣きながら家出して近所の人にかくまってもらったことも何度もありました。そして、小学生ながらすべてが嫌になって飛び降り自殺を試みたこともあります。ほんとどう考えても正気の沙汰ではない(笑)

そんなこんなで学校でも保健室にこもりがちになって、でも周囲は変わらずに優しかったし、6年の時の担任の先生はきちんとそんな私と向き合ってくれました。自分自身、何もできないし生きてる価値がないと思い込んでいた(のは6年生の時の連絡帳をこないだ見たら自分で書いてた。笑)そんな私に毎日「頑張らなくていいよ」と声をかけてくれてたし、母親と少しでも上手くいくように親身に考えてくれてました。
結局、先生の思いもむなしく、母親との状況は悪化をたどるばかり。そんな中で忘れもしませんが小学校の卒業式、帰りのHRで親に感謝の手紙を渡す段取りになっていて、みんな親のところに駆け寄ってるのに、探しても探しても母親はいませんでした。HR終わって思いっきり手紙を破り捨てたところまで鮮明に覚えてます(笑)
ちなみに母親がいなかった理由としては「人ごみが苦手だから」。今となっては笑い話だけど、当時の私には悔しくて悲しくて、これじゃ認めてもらえないし母にとってはそれっぽっちの存在だと思って耐えられなかった(笑)ちなみに父親は母が卒業式に行くと聞いていたのでさすがにその話を聞いて怒ってましたが(笑)

家庭の状況は正直最悪だったけど、それでも学校に行けば忘れられたし、正直女子のグループに所属するのがめんどくさくて、どこにも所属しない一匹狼すぎて浮いてはいたけど、なんだかんだみんな優しかったし。楽しくやってました。
たぶん、小学生くらいまでは傍若無人で超めんどくさい子ども!!!だったけど自分らしくという点では、家から出ればかなり好き勝手やってたと思います。(笑)

ただ、なんとか楽しく過ごしていた小学生時代でしたが、中学生になってから母親との状況はより悪化する一方で、更には学校でも居場所をなくしました(笑)

 

かなり難ありなグレーな子どもっていうのは特に変わらずだったので、勿論みんなに横並びが出来ず異質さが目立ってすぐいじめの対象になりました。その中で学校で同級生とのとあるいざこざがきっかけで、パニックを起こして学校に行きたくないと訴えて、登校拒否をするようになりました。

それからしばらく学校へは行ったり行かなかったり繰り返してはいたんだけど、原因不明の吐き気とか頭痛とか震えとかが表れて、でも保健室では受け入れてもらえなかったのでだんだん学校に行かなくなり、眠れなくなったり震えたり吐いたり、そもそも部屋から出られない日も多くなってきて。さすがに見兼ねた母親が病院へと連れて行った結果、私は「小児うつ」と診断されました。

その当時はもういっぱいいっぱいで、でも家庭の状況が悪化し始めたころから漠然と感じていた生きづらさとか、しんどさとか、そういうのに名前を付けてもらった気がして少し落ち着いたんですね。

 

それからしばらく学校に行かない間は、ほとんど部屋に引きこもっていました。

親のことは嫌いだから基本はずっと部屋の中で生活してて、外に出るのはみんなが寝静まった夜中。どうしても日中外に出ないといけないときは、出来るだけ学校のある平日にして、それでも全く関係のない人の視線や話し声にずっと怯えていました。所謂、被害妄想がひどくて、あの人は私のことを見て笑ってるんだとか、あの人今私のこと馬鹿にしたとか。

でも、その状況が続いても埒が明かないし、どうにか学校に行ってほしいと両親は無理をして転校をさせてくれました。結局転校して割とすぐに先生たちのちょっとした言動に敏感になりすぎて拒否反応を起こし、教室に通ったのは指折り程度(笑)それでも、保健室登校が出来るようになったし、転校してよかったと思っています。

 

中学3年の時に、それまで通っていた心療内科に加えて児童相談所を学校のカウンセラーの先生に紹介されて母親と一緒に通うようになって、それから随分と自分自身のコントロールが効くようになりました。当時は、私と母親と別の部屋でカウンセリングを受けていて、母親はめちゃくちゃ抵抗してたのだけは覚えてます(笑)

 

でもこれで少しはいろいろと落ち着いてきたかな、と思った矢先。

突然ある日、朝起きたら母親がいませんでした。どこに行ったんだろう…と思ったら夜裸足で泥んこで服もぼろぼろになった母親が戻ってきました。何があったのかと問い詰めることが怖くて、でも疲れているようだからしばらく寝せて様子を見ようとして。そしたら次の日も朝起きたらいませんでした。そしてまた夜になってぼろぼろで帰ってきて。その次の日も朝からいなくなってて、でもたまたま親戚の家の近くで見つけてさすがに病院へ連れて行きました。車の中で母親は震えていて、でも診療を始めるとなったら今まで見たことないくらいに泣いて喚いて暴れ始めた。私の腕にかみつかれ、体を引っかかれ、人生で殺されるんじゃないかと思ったのはあれが今のところ最初で最後です(笑)

 

結局、母親も昔から生きづらさを抱えていたし、たくさん我慢をしていたんだとしばらくして気付きました。私に完璧を求めていたのも、厳しかったのも、今思えば母親が祖母からそういう風に育てられていて、だから自分自身を律して私に接していたし、そんな中で私が引きこもるようになって、母親が壊れたのも仕方ないと思っています。

それから入退院を繰り返す母親をサポートするのは自分しかいないと、母親のことを認めたわけじゃないけれど自分よりも母親を優先するようになりました。

 

そしてなんとか高校にも進学。ただ中学時代のいろんな噂(内容は詳しく知らない)が入学当初から回っていて、異質さも変わってなくて、結局入学して数日で仲間外れにされてまたいじめの対象になりました(笑)

正直高校に入ってからも母親の状態は安定しないし、自分もうつを抱えて生活しているから調子が悪いと不安定になるし、完全なるキャパオーバー。それでいて担任はそれを知っているから必要以上に気にかけてくれて、いじめの対象としてはエスカレートする一方(笑)まあいろいろありました、いじめが嫌で2年でクラス変えたのに廊下で前のクラスの子たち数人に囲まれて(元を正せば私も悪いんだけど)詰められて過呼吸起こして倒れたり。

 

結局居づらさを感じて高校3年で普通高校から通信制高校に転入をしています。それはそれで正解だったと思う。でも、その頃には最早自分自身の価値なんてないと思ってました。

いじめられる中で、自分がいると邪魔なんだ。生きてることが空気を乱すし害なんだ、と言われた言葉を鵜呑みにしたり(笑)幼少期から完璧じゃない自分にコンプレックスを感じていて、更に存在価値を否定されて(相手にそんな気持ちがなかったとしてもうつ状態で冷静な判断なんてできなかった)、挙句の果てに親すら壊してしまった。そんな私なんてさっさと死んでしまえばいいんだってずっと思ってました。

 

でもそんな私にとことん付き合ってくれた友達がいた。だから自分に自信が持てなくてもかろうじて生きようと思えた。いちばん覚えてるのは中学の同級生で、学校に通っていた当時はいつめんでも何でもなかったeighterの子がことある事に私の家に来ては関ジャニ∞のDVDを見せてくれてたなあ(笑)でもそうやって楽しみを共有してくれる友達もいた。

 

おかげさまで無理を言って大学にも進学して、心理学を学んで自分と母親の理解のためにちょっとだけ努力をして、少しずつ自分を取り戻すことが出来ました。ただ、焦って就職した結果、うまく立ち回れない自分に自信をなくして、存在価値を見出せずにいっぱい失態を犯して今に至ります(笑)

 

それで現在に至るんですが、正直大学時代も彼氏に束縛されて必要としてもらえることが嬉しくてそれが愛なんだと勘違いしたり、人に嫌われることが極端に怖いので、就職してからも上長からそういうお誘いを断れずにズブズブと関係を続けたりもしました(今はなんとか蹴りついたけど)。

 

どうやったら嫌われずに済むだろう、って考え方は正直いつからそうなのかはわかりません(笑)今の仕事をしていて、理不尽なこともたくさん言われました。そのたびに、もっと頑張らなくちゃ、結果を残さなくちゃ嫌われると自分自身を追い詰めていました。でも今の部署で自分の意見を求めてくれて、それをたくさん活かしてくれて、今の上司たちが恐縮なほどに私を評価してくれたから、仕事の裁量権や責任は以前よりも増えたのに、きちんと評価してもらえるってだけで仕事がすごく楽しくなったんです。だから転職を決意しました。矛盾極まりない(笑)

 

まあ、今の部署では正当に評価してくれて、しんどい時は休憩しても大丈夫だよって受け入れてくれるのですが、他部署ではそんな甘っちょろいこと言ってくれません。結果出さないと意味がないからまあ厳しくされて当たり前。更に当時は保身の為と思って別部署の上長とそういう関係を持ったけど、自分に少しずつ自信を取り戻すと共に、その人の存在に拒否反応を示すようになりました。ふてぶてしい話ですよね。(笑)顔見るのも声聞くのも、香水の香りもなんかもうすべてだめで、でもその人とも関わらないと今の仕事はできません。

自分自身を見つめなおして、もう一度自分自身を取り戻そうとした結果、転職することが最善だという結論に至りました。

 

その中で、もう一度自分自身としっかり向き合う時間をとことん取りました。記事に書いたみたいなことを一から整理して、自己肯定感があまりにも低いのどうにかならないの?って言われることが多い原因ってどこから来てるのかって考えて。

正直今までの環境がそうさせたって答えも間違いじゃないんだけど、だからって自尊心低いまんまでいいとは全く思わなかった。むしろ自己肯定感高くてポジティブな友達を見ていると羨ましくて、自分としてはそうなりたい。

 

そのために、話は戻るんですけど自分自身に嘘つかずありのままを受け容れて、今の自分の気持ちにたまにはしっかりと手を当てて向き合うようにする必要があると感じました。

次の就職も本当はどういう働き方がしたいのか、なんで漠然と仕事をしながら空虚感が生まれていたのか、新卒の時以上に時間をかけて向き合いました。

その結果、随分と軸が定まり自分の判断基準も明確になったと思っています。新卒の時にこれをするべきだったんだけど(笑)

 

もし納得した上で次の就職が決まったら、今度はなりたいビジョンをしっかり見据えて、自分らしく働くとは?をもっと追求したいと思っています。

 

 

正直未だに私は病気と共に生きてるし(ちなみに高校生くらいに統合失調症という診断を受けました) 、母親も病気を抱えて生きています。

正直過干渉だし過保護だし母親のことは今でも大の苦手で一緒に生活することはしばらくはしたくない(笑)でもそれって理解してもらいにくい。だからことある事に親不孝って遠回しに何度も言われてきました、身内にもそれ以外にも。

それ以前に私自身精神的な病気があるんだってカミングアウトすることもほとんどありませんでした。それも偏見差別が怖かったというのもあるし、何より理解してもらえないと諦めていたから。

 

でも、それもひとつの個性だし、ひとつの家族のかたちだし、そんなのいちいち気にして神経すり減らすの馬鹿みたいって思えるようになりました。自分が納得していれば、意外と周りの声も気にならなくなってきたので、少しは大人になったのかなあ!!!(笑)

 

とは言ってもやっぱり日々の中で生きづらさはよく感じています。気にしすぎと言われればそんなものなのかもしれないけど、他人と自分を比較して落ち込むことも多いし、正直私ってかなりぶっ飛んでるんだなあって社会人になって身をもって感じています(笑)私の常識はどうやら世間一般とだいぶズレているらしい……ただそれも個性として笑って流してくれる人もいるんだってことに気付きました。

 

こんな私でも、好きでいてくれる友達がいるし、別に完璧じゃなくたって沢山のボロが出たって、そんなこと気にしないで接してくれる人がいる。それは漠然とした生きづらさを抱えている方皆さんに共通すると思います。

だってきっと、気兼ねのない人付き合いって損得で付き合うものじゃないって思ってるから。私は人がドジしても可愛いなあって思うし、何かに失敗したからっていってそれだけでその人のこと嫌いになったことなんて一度もないです。むしろ助けてあげたい力になりたいと思うただのお節介さんです(笑)

 

そして私は周りに愛されてきたからきっと腐らずに今前を向けています。未だに生きてるだけでどうしようもなくしんどくなることもあるけれど、呼吸が苦しくなったり気持ちがなんとも言えないもやもやで埋め尽くされたりもするけれど、その感じ方も全部引っ括めて私だもん。きっとちょっと私は人より敏感になりやすいだけ。

 

 

まとまりのない文章ですが、決意は受け止めて頂けたでしょうか(笑)まだまだ私は自己理解のスタートラインに立ったばかりで受け容れるのも嘘つかずに生きるのもこれからです。だからといって生きづらさが解消されるかは分かりませんが!!!

 

 

でもきっと、私と境遇は違えど大切な誰かを失ったり、仕事や人間関係でつまづいたり、そんな経験って多かれ少なかれ誰にでもあるんじゃないかなあって勝手に思いました。そしてそれが漠然とした生きづらさに繋がる可能性も十分にある。

 

だからこの記事を読んでる方の中で今感じてるもやもやした気持ちとかあるならば、それって誰にでも起こり得るし、少なからず私はそんなもやもやをしょっちゅう感じています(笑)なので貴方だけじゃないですよ!!

 

 

そうやってたくさんつまづいてもその度にもっと自分を理解して、自分の嫌いなところも笑い飛ばせるようになります。それが今の目標です。

 

まずは今の会社をやめる決断がスタートライン!それからどうなっていくのか暖かく見守っていただけるのであれば嬉しいです。

 

 

 

かなりの長文、乱文で読みづらかったとは思いますが、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

 

私は前むくぞ!今まで決断したことに後悔はないしあとは難しいこと考えずにやってみて考えるぞ!自分なりのペースで!

 

 

 

お粗末さまでした。

その苦しさしんどさ生きづらさと、この記事が交わってくれていたらいいなあ。