Fly!

私史上最強のアイドル西畑くんがいる日常

糸が繋がった瞬間

2020年になって早1ヶ月が過ぎましたね。

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も変わらずここでは私の思うことをぽつぽつ呟きながらゆるゆる気ままに更新していきますのでよろしくお願いします。

 

突然ですが、私は皆さんご存じの通り(?)生粋のジャニオタですが、にわかながらも女子ドルのことも好きです。

今は欅坂46ラストアイドルが特に好きです。と言いつつも器用な方ではないし、大吾くんのオタクにかなりの熱を費やしているので、女子ドルにオタクと言えるほど猛烈に熱を傾けて応援しているわけでもないし、気が向いたときに曲をチェックしたり番組をチェックしたりSNSを見たり・・・と本当にゆるーい茶の間ファンです。

 

そんな私の好きな2組ですが、その中でも最近欅坂46のファンに激震が走りました。

 

「絶対的センター 平手友梨奈ちゃんの脱退」

 

この発表が他のアイドルの卒業発表と少し空気が違うのは、絶対的センターがグループから抜けるというだけじゃなく、”脱退”という言葉のチョイスにあります。

なぜなら、同時にグループを離脱するという発表がされた鈴本美輸ちゃんと織田奈那ちゃんは”卒業”という言葉を使っていたから。同じタイミングでの発表なのに、卒業と脱退と言う言葉の違いについては当時Twitterのトレンドにも上がっていたほどでした。

 

正直言葉の使い分けの意図の本当のところは欅坂の関係者のみぞ知る、というところでしょうがファンの中で飛び交う憶測を発表当時ずっとTwitterで追っていました。

非常に個人的かつ主観的な偏った考え方ではありますが、すずもんとオダナナに関してはいろいろと噂が飛び交っていたり週刊誌にすっぱ抜かれたりしていたのでなんとなく腑に落ちた感じもあったんだけどね・・・(※こんなこと言ってるけどすずもんは私の欅の中での二番目の推しだったし二人の卒業すごく寂しいよ・・・)(※全く関係ないけど一番推しは守屋茜ちゃんですよろしくね♡)

 

それで、てち(平手友梨奈ちゃん)の脱退についてですが、考えても考えても卒業と脱退の違いなんていち茶の間ファンに分かる訳じゃないから考えるのを辞めました。不毛だもん。卒業ライブがあるわけでもないから卒業おめでとう!!って送り出せないのは悲しいけれど、てちも、すずもんも、オダナナも、これからの人生に幸あれと心から願っています。

因みにてち本人は発表後の自身のラジオでも理由については言及していません。だから私は脱退の理由については自分の中で考えたりはするけどいつかてちの中で消化できた時が来たら聞いてみたいなあと思う程度です。言いたくないことは言わなくていい。アイドルだろうがいち人間ですもの。いち個人の言論と表現の自由だ!!!(?)

 

それでも、寂しいながらひとつだけブログに自分の思いを残しておきたかった。

2019年紅白歌合戦で披露した不協和音の平手友梨奈の素晴らしさを。

 

いつものごとく()浴びるようにお酒を飲みながら年越ししようとしていたので、紅白を見ているときもずっとぽわぽわしていたんですが、あのパフォーマンスを見たときはなんだか自分の中で時が止まったような気がしていた。そして、見終わったとき気付いたら泣いてた。泣いてることにも気付かなかったのはそれだけパフォーマンスに見入ってたからかなあと思いたい(決してお酒で思考がふわふわしていた訳ではないと思いたい!切実に!!笑)

 

不協和音という曲は欅坂が語られるときに切っても切れない重要な曲だと思っています。前回紅白で披露したとき、曲の激しさからメンバーが倒れたのは覚えてらっしゃる方も多いかもしれませんが、あの曲は見ている方も変な話すごく体力を使う。それだけメッセージ性が強く、かつ人間のダークな部分により踏み込んだ曲だと感じるからです。だから披露する方のメンタルと体力は想像できないくらいもっと消耗しているんだろうな。

ちょっと話が逸れましたが、それだけメッセージ性が強いと同時に、不協和音がリリースされたあたりから欅坂の曲の路線も変わったように感じています。

それまではメッセージ性が強いながらも世界を切り開いていくような、それこそポップな曲調の表題曲も多く、何もないところからどんどん少女たちが強くなっていく様を見ているようでした。(ex.世界には愛しかない、二人セゾンetc...)

ただ、不協和音のあとの表題曲は人間の隠しているダークな部分、見られたくない無意識の闇とか、そんな底の深いところに突っ込んでいくような曲になりました。例えるなら少女たちの成長途中の葛藤をあぶり出しているような感じとでも言おうかな・・・。

 

そんな転機になった曲でもあるし、ライブでも滅多に披露されない曲が不協和音。

そして、見るたびに私の中で胸がぎゅっと苦しくなっていた曲が不協和音。てちの「僕は嫌だ」を聞くたびに苦しくて苦しくてしょうがなかった。

 

でも、昨年の不協和音は胸が締め付けられるような苦しさがまるでなかった。

それどころか見たときすごくほっとしたんです。上手く言葉にできないけど、ああ、この子たちは何かを乗り越えたんだなと勝手に想像していました。語彙力がないけれど、本当に真の強さを兼ね備えた不協和音だった。パフォーマンスの最後にてちが田村保乃ちゃんに手を添えたあの瞬間、何かは分からないけどいい意味でぞくぞくした。

因みに私があのときてちが何を考えていたかを知る由はないけれど、絶対的センターに位置していつでもグループの矢面に立って身がつまされるような思いをしながら曲のメッセージを伝えてくれていたてちの肩の荷が降りた瞬間だったのかなあ・・・といちにわかファンは勝手に想像しています。これはあくまで私個人の考えなので何も根拠はないけど。

いつまでもいつまでも、てちがみんなに与えてくれた震えるくらいの衝撃は欅坂ファンの中に残り続けると強く思いました。

 

最後まで全身全霊でメッセージを届けてくれてありがとう。

欅坂46平手友梨奈ちゃん、お疲れ様でした。

 

それでは、今日も明日もその先も、ずっと笑顔でいられますように。