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私史上最強のアイドル西畑くんがいる日常

私の西畑担である理由

こんにちは。ついに関西ジュニア初の京セラドーム公演チケット申込みの火蓋が切られました。京セラドームだって。発表があった日から何度も公演場所を確認したけど、どこにも間違いなく京セラドームの文字で溢れてた。関ジュ単独ドーム。何度も何度も嬉しくて驚いて目を疑っては噛みしめています。

 

 

きっと京セラに大吾くんが立つ姿見たら泣いちゃうなあ。

 

 

正直、いつから西畑担を名乗っているのかなんて忘れてしまいました。記憶の限りまいジャニ初回はかねこじ目当てだったし当初は廉ちゃんの方がかっこいいと思ってたし。まいジャニ見て西畑大吾くんの存在を初めて認識したくらいだし。

 

でも、初めてまいジャニコンに行ったときには既に大吾くんに首ったけだったし、初めての松竹座もなにきん公演だった。その公演以来紆余曲折ありながら今まで現場に通っているのが現実。

 

 

関西担名乗ってすぐできたお友達は大半がオタ卒してたり別界隈にいたり他に降りてたり、そんな中でも今でもぶれずに大吾くんを応援しているのがすごいね!と言われることもたまにあります。

私もびっくりしてるよ。それまでジャニオタではあったけれど、西畑大吾というひとりのアイドルをこんなに長く心から応援するなんて。

 

 

今、いろんなタイミングが重なってよく自分の過去を振り返る作業をしているのですが、ここ数年に関して大吾くんを語らずして自分の過去を振り返ることができません。

そんな中で私が何故今でも西畑担でいるのか、西畑担でいられるのか、振り返るとともにブログにふと書いてみたいと思いました。

長くなりそうですが、お時間のある方はお付き合いください。

 

 

大吾くんを初めて知ったのは前述の通りまいジャニ初回放送。第一印象は眠たそうな可愛い子。だったような気がする。笑

特に番組内で目立つ存在でもなく(というか周りの個性が異常に強すぎた)、でも気付いたらショータイムの笑顔に、表情に、釘付けになっていました。

当時応援していた人たちは歌もダンスもスキルが高くて、正直パフォーマンスのレベルなんて全然違ったんだけど、こてんと首を傾けながら甘えた表情でニコッと笑って歌う大吾くんの表情をいつまでも見ていたいと思っていました。

 

 

その当時はまだジャニーズWESTも関西ジュニア。関西を好きになったきっかけの神山くん重岡くんもジュニア。そんな強い面々がいる中で気付いたら私はオリックス劇場へ大吾くんを見るために初めて関西の現場に足を踏み入れています。しかもひとりで。今考えたら本当に勇者だけどそれくらい生で大吾くんのパフォーマンスを見たかったんだろうな。録画したまいジャニのディスクを擦り切れるんじゃないかってほどリピートしてたの覚えてるから。そして初めての生大吾くん。今となっては当時どういう気持ちだったのかは覚えていないけれど、ちょうど私自身大学生になって知り合いの紹介でアルバイトも始めて、お金も自由が効くような時期だったこともありそれから大吾くんの現場に足繁く通うようになりました。

 

でもそれからすぐ、ジャニーズWESTのデビューが決まり、関西ジュニアは大きな変革期に入りました。みんなもがいていたけど、そのもがきながらも答えを探していた姿がまた大好きだったなあ。まいジャニもやっと一つの形が見えてきて、6人がひとつになっていく姿が魅力的で、九州在住の田舎っぺなのに14年の冬の松竹座なんて何度夜行バスを使って地元と大阪を往復したことか。ちょうどEndless SHOCKを終えた後の大吾くんのダンススキル向上とExplosionのニヒルな表情が好きすぎて大吾くんを推していく醍醐味を心から楽しんでいました。

 

でも松竹座からそんなまいジャニメンバーが1人去り、2人去り、3人去り。

今でも本人たちの口からもたまに語られる15年夏の松竹座。焼け野原とかなんとか言われるけどなんとなく、私はあの公演を見てこれからの関西ジュニアはきっと大丈夫だと信じていました。それだけあの4人が輝いていたし、それまでに見たことがないくらい本気だったし、必死で食らいついてる気がしたから。その中でセンターを背負う大吾くんの表情、気合い、気迫、6人の端っこからいきなりセンターになったけど勝手にこの子は大丈夫だ、と胸をなで下ろしたことは覚えています。

 

とはいえど実はその少年たちのあと一度オタ卒しようと思ってました。

プライベートが忙しくなったことも勿論あったけど、たぶん大吾くんの覚悟と気迫について行ける自信が無かったから。パフォーマンスも演技も変わらずに大好きだったけど、大吾くんが与えてくれる熱量と同じ、あるいはそれ以上の熱量をもって応援できる自信が無かった。あと単純に私が子供だったから。それまでファンサマシーンだった大吾くんがいきなりファンサ辞めて寂しくて、周りを見ればファンサを貰ってる他担が溢れてる状況が悔しかった。笑

だからその後いきなり私の現場数が激減しました。たぶん、一人じゃそのときに現場卒業してたんだろうけど、そのとき続いていたのは運良くチケットのご縁があったことやオタ卒を引き留めてくれる友達がいたからだと思います。

 

そこから急激に熱量が盛り返したわけじゃないんだけど、テレビや雑誌の媒体はなんだかんだ欠かさずチェックしていたし、大吾くんの紡ぐ言葉が昔から不器用ながらも大好きで、そんな言葉に触れられるのも嬉しかった。

そして、気付いたらどんどん西畑大吾のメディア露出が手に余るほど増えていた。なんだか気付いたら新しいお仕事どんどん決めてくるし、結果残してまた大きい仕事掴んでるし、大吾くんにメディアを通じて触れている時間は熱量と反比例して激増していた。

 

いつからか、私には西畑担でい続けることの意地ができていました。

 

発展途上の途中で、今ここで、応援するのを完全に辞めてしまうことは、本当に後悔しないのか?と自問自答すると何故かむしろもっと大吾くんのファンのミクロレベルの存在でいいから残り続けたいと思っていました。

だって結局大吾くんのアイドルである姿が大好きだから。当時の他の同担に比べれば大吾くんが大きくなるためのお手伝い(例えば葉書だったり要望だったり)は全然できていなかったと思いますが、アイドル西畑大吾に心底惚れていたから。

 

今となっては西畑大吾の最早何が好きかと言われたら分かりません。笑 大吾くんの存在の全てが好きで、ジャニーズキャリアの軌跡が好きで、戦ってきている姿が好きです。

 

でもひとつ言えるとしたら。

長年ジャニオタをしている中で、というか今までの人生の中で、こんなに私の感情を揺さぶった人は大吾くん以外にはいないということは断言できます。

悲しさも、悔しさも、それ以上の楽しさも、嬉しさも、大吾くんがいなければ知り得なかった感情がたくさんあります。これからも私の中の”ハジメテの感情”を大吾くんと体感していきたい。

 

先日友人と話していて再確認したのですが、もうこれから先大吾くん以外の人を同じ熱量で応援することは想像ができません。だから私はきっとこれからも波があれどしぶとくしぶとく西畑大吾がアイドルで居続ける限り私も西畑担でい続けるんだろうなあ、と思っています。

 

私が個人的にしんどいときも、苦しいときも、いつも変わらない光で照らしてくれている大吾くんをもっと大きな光で包み込めるファンの一端でいれますように。

 

 

長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、自己顕示欲丸出しブログへのお付き合いありがとうございました。

なんだかんだ最近本当に涙腺が緩くてアオハルでも泣きそうだから、泣いてた私を見かけた方はそっと見守っていてください。笑

 

 

それでは、今日も、明日も、その先も、ずっと笑顔でいられますように。